2012年11月07日

古事記と言霊・創造へ、そして失敗

ここにその妹(いも)伊耶那美の命に問ひたまひしく、「汝(な)が身はいかに成れる」と問ひたまへば、答へたまはく、「吾が身は成り成りて、成り合はぬところ一処(ひとところ)あり」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。故(かれ)この吾が身の成り余れる処を、汝(な)が身の成り合わぬ処に刺(さ)し塞(ふた)ぎて、国土(くに)生みなさむと思ふはいかに」とのりたまへば、伊耶那美の命答へたまはく、「しか善けむ」とまをしたまひき。ここに伊耶那岐の命詔りたまひしく、「然らば吾と汝と、この天之御柱を行き廻り逢ひて、美斗(みと)の麻具波比(まぐはひ)せむ」とのりたまひき。かく期(ちぎ)りて、すなはち詔りたまひしく、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」とのりたまひて、約(ちぎ)り竟(を)へて廻りたまふ時に、伊耶那美の命まづ「あなにやし、えをとこを」とのりたまひ、後に伊耶那岐の命「あなにやし、え娘子(をとめ)を」とのりたまひき。おのもおのものりたまひ竟(を)へて後に、その妹に告りたまひしく、「女人(おみな)先だち言へるはふさはず」とのりたまひき。然れども隠処(くみど)に興(おこ)して子水蛭子(みこひるこ)を生みたまひき。この子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(や)りつ。次に淡島を生みたまひき。こも子の例(かず)に入らず。



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2012年10月19日

古事記と言霊・島生み

ここに天津神諸(もろもろ)の命(みこと)以ちて、伊耶那岐の命伊耶那美の命の二柱の神に詔りたまひて、「この漂(ただよ)へる国を修理(おさ)め固め成せ」と、天の沼矛(ぬぼこ)を賜ひて、言依さしたまひき。かれ二柱の神、天の浮橋(うきはし)に立たして、その沼矛を(ぬぼこ)指し下(おろ)して画きたまひ、塩こをろこをろに画き鳴(なら)して、引き上げたまひし時に、その矛の末(さき)より垂(したた)り落つる塩の累積(つも)りて成れる島は、これ淤能碁呂島(おのろご)なり。その島に天降(あも)りまして、天の御柱を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき。






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2012年10月13日

古事記と言霊・【註】イヰと父韻の並び

親音(イヰ)の立ち位置を説明いたしますのに上であったり、下であったりいたします。どっちなんだ?という当然ながら疑問が生まれます。コトタマ学を勉強するに古事記と日本書紀の二つの観点から説明しているからです。下記の図をご覧下さい。

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古事記はコトタマ学の勉学に適して母音から説き起こし、日本書記はコトタマ学を会得した方が、その活用によって禊祓を実行するに便利なように父韻から説き起こしています。

五十音図は五母音それぞれに音図がございます。イ段の父韻の並びもそれぞれ違ってまいります。今まで父韻の並びの説明に‘チイキミシリヒニ’と暫定しておりますのは、作用・反作用の関係を明確にするためのもので、実際は五母音それぞれに父韻の並びが違ってまいります。

 ウの天津金木音図の父韻の並びは・・キシチニヒミイリ
 オの赤珠音図の父韻の並びは・・・・キチミヒシニイリ 
 アの宝音図の父韻の並びは・・・・・チキリヒシニイミ 
 エの天津太祝詞音図の父韻の並びは・チキミヒリニイシ
 イの天津菅素音図の父韻の並びは・・八父韻

以上、イヰの立ち位置と父韻の並びに関しまして混乱のないよう整理いたしました。記紀のどちらから説いても、人間の心の発動は先天十七言霊が同時活動いたしますから矛盾はありません。


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2012年10月09日

古事記と言霊・天津磐境


天津は「心の先天宇宙の」意です。磐境とは五葉坂の意、図を御覧になると分りますように先天図は

一段目【淡路の穂の狭別の島】アワジノホノサワケノシマ
    言霊ウからアとワ(淡路)の言霊(穂)が別れて出て来る(別)狭い(狭)区分(島)、言霊ウは主客未剖、アワはそこから分れます。

二段目【伊豫の二名島】イヨノフタナジマ
    二名とはアとワの二音言霊のこと、宇宙剖判で主体アと客体ワに分れます、この主と客に分かれることが全ての自覚の始まりです。イとヰの現象を創造する働きの予めの区分。

三段目【隠岐の三子島】オキノミツゴジマ
    隠岐とは隠り神、三つ子とは三段目に現われる言霊という意味。言霊オ・ヲ(経験知)、エ・ヱ(実践智)は文明創造上最も重要な精神性能です。

四段目【竺紫の島】ツクシノシマ
    竺紫は尽くしの謎、八つの父韻は言霊イ(伊耶那岐神)の実際活動のリズム(チキシヒイミリニ)、「身一つにして面四つ」の意味は作用・反作用の陰陽一対四組の知性の律の島です。

五段目【伊岐の島】イキノシマ
    心のすべての現象はここから現われ出て、また此処に帰っていくのです。

五葉坂とは五段階の言葉の界層の構造という意であります。



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2012年09月23日

古事記と言霊・【イ】伊耶那岐の神/【ヰ】伊耶那美の神

言霊  イザナギノカミ/伊耶那岐の神は心の名(言霊)の気。
言霊  イザナミノカミ/伊耶那美の神は心の名(言霊)の身。


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イ・ヰの三つの働き ――

 一、四言霊アエオウの縁の下の力持ちとなって、これ等言霊を支え統轄します。

 二、人間の根本智性であるチイキミシリヒニの八父韻に展開して、四母音に働きかけ、人間の精神現象の一切を創造します。

 三、生み出された現象に言霊原理に則った相応しい名前を付ける根本原理となります。

 言霊イ・ヰは母音・半母音であり、同時に父韻となるものでありますので、特に親音と呼びます。



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古事記と言霊・伊岐の島

次に伊耶那岐の神。次に伊耶那美の神。


17_kototama.gifツギニイザナギノカミ
ツギニイザナミノカミ






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2012年09月22日

古事記と言霊・【ヒ】於母陀流の神/【ニ】妹阿夜訶志古泥の神

言霊  オモタルノカミ/於母陀流の神。於母陀流の流の字に琉(る)を当てた本がありますが、言霊的意味に変わりはありません。於母陀流の神を日本書紀には面足尊(おもたるのみこと)と書いており、その意味・内容は更に明らかとなります。ハヒフヘホの音は主として人の言葉に関する音であります。

     面足とは心の表面に物事の内容表現が明らかに表わされる力動韻という事が出来ます。私も時に経験することですが、何かの集会で突然一人の人から「久しぶりにお会いしました。御無沙汰していて申訳御座いません。あの節はお世話になりました」などと親しげに挨拶されます。余りに親しげであり、突然の事とて、戸惑い、いい加減な挨拶を返してそのまま別れてしまう事があります。別れた後で「確かに何処かでお会いした事があるように思えるが、さて何方(どなた)だったかな」と仲々名前を思い出せません。

言霊  イモアヤカシコネノカミ/妹阿夜訶志古泥神。二、三日経って、散歩な心に懸っている間に、次第に心の奥で思い出そうとする努力が煮つまって行き、以前に会った時が何処か、何時か、どんな時か等の事が焦点を結び始め、終に心の一点に過去の経験がはっきり一つの姿に沈黙の内に煮つめられた時、その瞬間、意識上に「あゝ、あの時の木下さん……」と言葉の表現となって花咲いた訳であります。

     かくの如く心の表面にはっきり表現として現われる時には、心の奥で過去のイメージが実を結んでいる、という事になります。この心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行く力動韻、これが父韻ニであります。



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2012年09月21日

古事記と言霊・【シ】意富斗能地の神/【リ】妹大斗乃弁の神

言霊  オホトノヂノカミ/意富斗能地の神。意富斗能地は大きな斗(はかり)の働きの地と読めます。物事を判断し、識別する大いなる能力の地という訳です。

     人はある出来事に出合い、その事を判断・識別する事が出来ず迷う事があります。あゝでもない、こうでもないと迷いながら、次第に考えが心の中でまとめられて行きます。そして最後に迷いながら経験した理が中心に整理された形で静止し、蓄積されます。蓄積される所が心の大地という訳です。この働きから学問の帰納法が生れて来るでありましょう。

言霊  イモオホトノベノカミ/妹大斗乃弁の神。大斗乃弁とは大いなる計りの弁(わき)まえと読めます。意富斗能地と作用・反作用の関係にある事から、心の中にある理論から外に向かって発展的に飛躍していく働きと考えられます。父韻リはラリルレロの音がすべて渦巻状、螺旋状に発展していく姿を表わしますから、父韻リとは心の中の理論が新しい分野に向かって螺旋状に発展し、広がって行く働きであることが分ります。

     この様な動きの理論の働きは演繹法と呼ばれます。学問ではなくとも、多くの物事の観察から人の心の中に一つの結論がまとまっていく過程、また反対にひとつの物事の理解から思いが多くの事柄に向かって連想的に発展して行く事、その様な場合にこの父韻シ、リの存在が確かめられます。



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