2012年05月16日

古事記と言霊・天地の初発の時

現代において普通「天地(あめつち)」と言えば、常識的に誰もが「天と地」または宇宙天体とか、太陽系宇宙とかを指すものと思います。古事記の神話の冒頭の文章である「天地」も当然そのようなものの事と思うことでしょう。

古事記の神話の初めの言葉「天地の初発の時」が、その常識と誰でも考える「天と地」または「この太陽系宇宙」、即ち今日の天文学や宇宙物理学等で謂う外界の宇宙空間の事ではなく、それら外界の宇宙空間を見ている私達人間の内なる心の広がり(宇宙)の事なのだ、という事に気付いて欲しいという「古事記」の編纂者・太安万侶の奥なる願望が秘められているのです。

「天地」が人の心の内なる広大な宇宙、そこに人間の数限りない大小の出来事が去来する心の広がりである時とは、人間の内面に何かの現象が始まろうとする時、という事です。それは主体的な心に何かが始まろうとする時、そうです。それは「今」です。

今・此処が常に「天地」の初めであり、場所です。この今を永遠の今と言います。そしてその場所が宇宙の中心です(この事は後程詳しくお話ししたいと思います)。今・此処を古神道は中今と呼びます(続日本紀)。


posted by yamato at 00:00| Comment(10) | TrackBack(1) | 今ここ
この記事へのコメント
はじめまして。
「天地」というのは仏教の「空」と言われる心境のことでしょうか。
「天地」は意識で捉えることが出来ないということは眠っていたり、死んでいる状態のようなことですか?
よろしくご指導下さい。

Posted by 学人 at 2012年06月13日 09:35
学人さま、ご質問ありがとうございます。

両者同じ心の宇宙と捉えて差し支えありません。


「天地」はエネルギーが充満し静まっている状態です。意識(五感感覚)では捉える事はできませんが、内観により直観・実感することはできます。

ひとたび古事記でいう「成りませる」と動きが起これば、即座に展開されていきます。

〈 疑問が残りましたら、再度ご質問下さいませ 〉
Posted by yamato at 2012年06月13日 18:36
お答えありがとうございます。
初心者には内観により直観・実感というのがもう一つ理解できずにいます。
具体的にどのようなことでしょうか。
自分の心の中の内観というのも覚束ないでいます。
説明しにくいとは思いますが。
すみません。
Posted by 学人 at 2012年06月13日 21:07
学人さま

申し訳ありません、言葉を縮め過ぎました。

内観とは自分の心の中を見る(探る)ことです。

その心を見ることに慣れていきますと、「もしかしてこれが・・・?(直観)」と感じられる時がきます。
そしてご自分の学びに連れて、疑う余地もなく「これだ!(実感)」と感じられる時がきます。

* このような経過は、コトタマのそれぞれを掴む上で全て共通の経過です。
感じられるかどうかはご本人次第となりますが、感じられるまでどうぞ諦めないで下さい。

* 心を見る方法に関しましては「コトタマ学入門心得」を手引きとして下さい。
行ないながら疑問がわきましたら、その都度ご質問下さい。

共に学んでいきましょう。


Posted by yamato at 2012年06月14日 16:49
他人の言動で自分の心を観てしまうのが常なのですが、
内観と言うのは内省と判断したらよろしいのですね。

反省するもついつい人のせいにしがちなのですが。
コトタマ学入門心得をよく読んでみます。

自分というものは「ない」、でも確かに 空 は「ある」。
なんだかとても雲を掴むような感覚です。

でも、やってみます。
又、お恥ずかしい(これも自我意識?)質問をするかもしれませんが、
勇気を下さりありがとうございます。
Posted by 学人 at 2012年06月14日 20:26
学人さま

改めて今回の事を整理しておきます。

「天地」は意識で捉える事はできませんが、心で感じ、捉えることはできます。そのことを「内観」という言葉を使いました。

一般的に「内観」と「内省」は、同義語として使われているようです。

コトタマ学での「心を観る」は一般的「内観」「内省」の内容に留まらずその先があります。「心を見て、それでどうするのか」です。

一般的方法では対応不可能なコトタマ学なので、その違いをご理解いただくためにも、まず「コトタマ学入門心得」を御熟読下さい。
その上で、“イザ”と動かれると良いですよ。

コトタマの学びになるか、一般学問的「コトタマ学」になるかの分かれ道はここにあります。

お一人の疑問は皆様の疑問です。代表質問者になられるのも良いのでは。
こちらも励ませて頂きます。
Posted by yamato at 2012年06月15日 16:23
こんばんは、

高天原(タカアマハラ)を、
高天の原(タカマノハラ)と読むのはなぜでしょうか。

神という文字を、かみ、かむ、と読む場合の意味の差異を教えてください。

お手数ですが、よろしくお願いいたします。
Posted by マル太郎 at 2012年06月15日 22:44
マル太郎様へのご返答

* 「高天原」の由来は、言霊原理最終段階にでてくる音図「天津太祝詞音図」のア段右より(ア・タカマハラナヤサ・ワ)にありますタカマハラから取り名付けられています。 (* 天津太祝詞音図をご参照下さい)
その点から言霊学ではタカマノハラではなく、タカマハラまたはタカアマハラとするのが適しています。

* たしかに古事記の中の多くは神をカミと読みますが、神直毘の神のところで出て来る様にカムと読むものもありますね。
一般学問上その違いがどうなのかは分かりません。

また他の一例としまして、出版社によって多少読み方や言葉に違いがあるのも実情のようです。

◎ 余談ではありますが、心の原理を学ぶ言霊学におきましては、言霊を謎々の形で示した神様の名前を指月の指とし指差す先の自分の心みていきますので、ひとたびそれに気づいてみますと、内容にとても適した神名が付けられている事に驚かされます。
Posted by yamato at 2012年06月16日 22:55
お返事ありがとうございました。

納得できませんが、
作者は生存していませんし、
暗号解読みたいなものでしょうから、
今後の自分の「解らなくてあたりまえ課題」として残しておきます。

解らないことだらけです。
なぜウが最初なのかもわかりません。自分の感覚だとアが最初に鳴りそうなんですが。
Posted by マル太郎 at 2012年06月17日 21:28
マル太郎様
お役に立てず申し訳ありませんでした。
今はいろいろな方法で情報が取れる時代。
マル太郎さんの求めているお答えが得られることをお祈り申し上げております。
Posted by yamato at 2012年06月17日 22:48
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Excerpt: 古事記の上ツ巻は次の文章で始まります。文章を区切って順を追って説明してまいります。 天地の初発の時、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神。次に高御産巣日の神。次に神産巣日の神。この三柱の神は..
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Tracked: 2012-05-24 09:41