2012年09月23日

古事記と言霊・【イ】伊耶那岐の神/【ヰ】伊耶那美の神

言霊  イザナギノカミ/伊耶那岐の神は心の名(言霊)の気。
言霊  イザナミノカミ/伊耶那美の神は心の名(言霊)の身。


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イ・ヰの三つの働き ――

 一、四言霊アエオウの縁の下の力持ちとなって、これ等言霊を支え統轄します。

 二、人間の根本智性であるチイキミシリヒニの八父韻に展開して、四母音に働きかけ、人間の精神現象の一切を創造します。

 三、生み出された現象に言霊原理に則った相応しい名前を付ける根本原理となります。

 言霊イ・ヰは母音・半母音であり、同時に父韻となるものでありますので、特に親音と呼びます。



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古事記と言霊・伊岐の島

次に伊耶那岐の神。次に伊耶那美の神。


17_kototama.gifツギニイザナギノカミ
ツギニイザナミノカミ






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2012年09月22日

古事記と言霊・【ヒ】於母陀流の神/【ニ】妹阿夜訶志古泥の神

言霊  オモタルノカミ/於母陀流の神。於母陀流の流の字に琉(る)を当てた本がありますが、言霊的意味に変わりはありません。於母陀流の神を日本書紀には面足尊(おもたるのみこと)と書いており、その意味・内容は更に明らかとなります。ハヒフヘホの音は主として人の言葉に関する音であります。

     面足とは心の表面に物事の内容表現が明らかに表わされる力動韻という事が出来ます。私も時に経験することですが、何かの集会で突然一人の人から「久しぶりにお会いしました。御無沙汰していて申訳御座いません。あの節はお世話になりました」などと親しげに挨拶されます。余りに親しげであり、突然の事とて、戸惑い、いい加減な挨拶を返してそのまま別れてしまう事があります。別れた後で「確かに何処かでお会いした事があるように思えるが、さて何方(どなた)だったかな」と仲々名前を思い出せません。

言霊  イモアヤカシコネノカミ/妹阿夜訶志古泥神。二、三日経って、散歩な心に懸っている間に、次第に心の奥で思い出そうとする努力が煮つまって行き、以前に会った時が何処か、何時か、どんな時か等の事が焦点を結び始め、終に心の一点に過去の経験がはっきり一つの姿に沈黙の内に煮つめられた時、その瞬間、意識上に「あゝ、あの時の木下さん……」と言葉の表現となって花咲いた訳であります。

     かくの如く心の表面にはっきり表現として現われる時には、心の奥で過去のイメージが実を結んでいる、という事になります。この心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行く力動韻、これが父韻ニであります。



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2012年09月21日

古事記と言霊・【シ】意富斗能地の神/【リ】妹大斗乃弁の神

言霊  オホトノヂノカミ/意富斗能地の神。意富斗能地は大きな斗(はかり)の働きの地と読めます。物事を判断し、識別する大いなる能力の地という訳です。

     人はある出来事に出合い、その事を判断・識別する事が出来ず迷う事があります。あゝでもない、こうでもないと迷いながら、次第に考えが心の中でまとめられて行きます。そして最後に迷いながら経験した理が中心に整理された形で静止し、蓄積されます。蓄積される所が心の大地という訳です。この働きから学問の帰納法が生れて来るでありましょう。

言霊  イモオホトノベノカミ/妹大斗乃弁の神。大斗乃弁とは大いなる計りの弁(わき)まえと読めます。意富斗能地と作用・反作用の関係にある事から、心の中にある理論から外に向かって発展的に飛躍していく働きと考えられます。父韻リはラリルレロの音がすべて渦巻状、螺旋状に発展していく姿を表わしますから、父韻リとは心の中の理論が新しい分野に向かって螺旋状に発展し、広がって行く働きであることが分ります。

     この様な動きの理論の働きは演繹法と呼ばれます。学問ではなくとも、多くの物事の観察から人の心の中に一つの結論がまとまっていく過程、また反対にひとつの物事の理解から思いが多くの事柄に向かって連想的に発展して行く事、その様な場合にこの父韻シ、リの存在が確かめられます。



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2012年09月20日

古事記と言霊・【キ】角杙の神/【ミ】妹活杙の神

言霊  ツノグヒノカミ/角杙の神。昔、神話や宗教書では人間が生来授かっている天与の判断力の事を剣、杖とか、または柱、杙などの器物で表徴しました。角杙・活杙の杙も同様です。

     言霊キの韻は掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を自分の手許に引寄せる力動韻のことです。これと作用・反作用の関係にある父韻ミは自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとする力動韻という事が出来ます。

言霊  イモイキグヒノカミ/妹活杙の神。人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻が父韻ミです。

     またその見たものが他人の行為であり、その行為を批判しようとする場合、自分が先に経験し、しかもそういう行為は為すべきではないと思った事が瞬間的に自分の心を占領して、相手を非難してしまう事が往々にして起ります。心に留めてあったものが自分の冷静な判断を飛び越して非難の言葉を口走ってしまう事もあります。これは無意識にその経験知を掻き繰って心の中心に入り込まれた例であります。



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2012年09月19日

古事記と言霊・【チ】宇比地邇の神/【イ】妹須比智邇の神

言霊  ウヒヂニノカミ/宇比地邇の神。「宇は地に比べて邇(ちか)し」と読めます。宇とは宇宙、いえ等の意味があります。人間の心の家は宇宙です。言霊アの自覚によって見る時、人の心の本体は宇宙であると明らかに分ります。

     するとこの神名は人の心の本体である宇宙は地と比べて近い、と読めます。即ち心の本体である宇宙と地と同じ、の意となります。宇宙は先天の構造、地とは現象として現われた姿と受取ることが出来ます。そこで宇比地邇の神とは心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。

言霊  イモスヒヂニノカミ/妹須比智邇の神。この神の‘イ’は母音のイではなく、ヤイユエヨの行の‘イ’であります。瞬間的に身を捨て全身全霊で事に当ろうと飛び込んだ後は、その無我の気持の持続となり、その無我の中に自らの日頃培った智恵・力量が自然に発揮されます。

     須比智邇とは「須(すべからく)智に比べて邇かるべし」と読まれ、一度決意して身を捨てて飛び込んだ後は、その身を捨てた無我の境地が持続し、その人の人格とは日頃の練習の智恵そのものとなって働く、と言った意味を持つでありましょう。



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2012年09月14日

古事記と言霊・竺紫の島

次に成りませる神の名は、宇比地邇の神。次に妹須比智邇の神。次に角杙の神。次に妹活杙の神。次に意富斗能地の神。次に妹大斗乃弁の神。次に於母陀流の神。次に妹阿夜訶志古泥の神。


ツギニナリマセルカミノミナハ
   ウヒヂニノカミ
ツギニイモスヒヂニノカミ
ツギニツノグヒノカミ
ツギニイモイクグヒノカミ
ツギニオホトノヂノカミ
ツギニイモオホトノベノカミ
ツギニオモダルノカミ
ツギニイモアヤカシコネノカミ


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2012年09月10日

古事記と言霊・【エ】国の常立の神/【ヱ】豊雲野の神

言霊  クニノトコタチノカミ/国の常立の神は言霊エ、豊雲野の神は言霊ヱであります。国の常立の神とは国家(国)が恒常に(常)成立する(立)根本の実体(神)といった意味です。この宇宙からは人間の実践智が発現して来ます。

     言霊オから発現する経験知が過ぎ去った現象を想起して、それ等現象間の関連する法則を探究する経験知識であるのに対し、言霊エから発現する実践智とは一つの出来事に遭遇した時、その出来事に対して今までに剖判して来た言霊ウ(五官感覚意識に基づく欲望)・言霊オ(経験知識)・言霊ア(感情)の各人間性能をどの様に選(えら)んで採用し、物事の処理に当るか、の実践的智恵の事を謂います。経験知と実践智とはその次元を異にする全く別なる人間性能であります。

言霊  トヨクモノカミ/豊雲野の神とは豊(十四〈とよ〉)を雲(組〈く〉む)野(領域・分野)の神(実体)といった意味であります。「豊」の字の示す十四とは、母音五、半母音一、それに八父韻合計十四数のことなのであります。

     これを先天構造の言霊数十七の中の基本数を表わす数としています。人間の実践智の性能とは結局はこの十四の言霊をどの様に組むか、の性能の事なのであります。これは言霊学の基本となる法則であり、豊の字は日本国の古代名である豊葦原水穂国にも使われております。



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